ページトップ

麦工房ブログ

イタリア紀行 カテゴリー

1992年3月から1994年3月までイタリアに遊学していた頃に、
知人に送っていた紀行文をご紹介いたします。

はじめの半年間はフィレンツェ大学で語学を学び、そのあとミラノに移りました。

十数年前の文章のままですので、古い部分もあると思いますがご容赦ください。

itala-03.jpg

昨年(1992年)10月、花のフィレンツェからファッションの街ミラノに引越した。
私たちが今住んでいる所は、今世紀初頭に建設された5階建ての集合住宅だが、
何かの理由であまり改装もされずに建設当時の姿をとどめている。

道路に一辺を面し、中庭を囲むようにして、住棟が口型に配置されている。
他の集合住宅では、エレベーターが設置されてしまった階段室の
上部はトップライトになっていて、明り取りとして未だに使われている。

防災上は多くの問題がある。

・2方向避難が取れない
・消火栓がない
・外部手摺が総て90cm、etc.

それでも、道路側の一つだけある共有の大きな木製扉から中庭に入ると、
そこは昔ながらのコミュニティーがあり、隣人同士の眼が
災害を未然に防いでいるようだ。

しかし、若い人たちは結婚すると、郊外の新興住宅地に越してしまうため、
住人の多くが老人で構成されているといった
問題点抱えている。



私たちの部屋は5階建ての最上階にある。
イタリアでは最上階に住むことをお勧めする。
なぜなら、イタリア人は部屋の掃除で出たゴミや埃を窓から掃き出すからだ。
下の階で窓を開けていようものなら、もろにそれを被ってしまう。

塵取りでゴミを取り、ゴミ箱に捨てるのが常識である日本人としては、
人がいようと、道路清掃車が通ったばかりであろうと、
窓からゴミを捨てるやり方には抵抗がある。

さらに、通行人も平気でゴミを落とす。だからミラノの道は汚い。

itala-08.jpg

“郷に入っては郷に従え“ 私達も最近では、
アパートの管理人のおばさんの目を盗んで、中庭にこっそりと
埃を掃き出すようになった。

人がいるかどうか確かめてからだから、
まだイタリア人になりきっていないが・・・・・。



イタリアのテレビ番組には、必ず女性が水着のような格好で登場し、
豊満な胸を見せつける。

しかも、素人出演者も胸の割れ目をわざと見せつけるように、
大きな襟ぐりの服や、シャツのボタンを2、3個ぐらい外して登場する。

ところが、このことはテレビに限った事ではない。
暖かい季節には、街で歩いている普通の女性も
同じ格好をしているのには驚かされる。

バスに乗れば、60〜70歳のご婦人も
「昔はとても大きくて、今でもこんなに立派なのよ!」
と言わんばかりに、シワシワのおっぱいを披露してくれる。

思わず顔を背けたくなるが、
魔法に罹ったように眼がそこから逃れられなくなってしまう。

そして後で悪夢を見たような後味が残る。

itala-11.jpg

イタリア人は本当に胸が好きだ。
それはイタリア人男性のほとんどがマザコンだからだ。

日本でもマザコン男がドラマで話題らしいが、それとは少々ちがう。
イタリア人のそれは、母親を心から愛していて、
大切に想う心理からきているのだ。

だから、その象徴であるおっぱいは、彼らの心の拠り所になっている。
そして、おっぱいが好きであることを素直に表現する。
結果的にテレビの映像や女性の格好にそれが現れるのである。

街角に飾られている宗教画はマリアを画いたものばかりで、
その歴史的な重みを私たちに伝えている。



イタリア映画で『自転車泥棒』がある。

第2次世界大戦直後の貧困な時代の生活を映している。
日本と同じ敗戦国で、仕事もない貧乏な暮らしがそこにあった。

今では食べることに困る人はなくなり、裕福な暮らしが送れるようになってきたが、
自転車泥棒がいまだに続いている。

イタリアでは大概の人が昔日本で使われていたような、
黒くて重い、朽ちかけた、中国製自転車のような、
そんな自転車に乗っている。

itala-13.jpg

私たちも友人から自転車を買ったことがある。
日本の駅前に山積みにされた放置自転車が、
新品同様に見てしまうほどポンコツで、
日本人の目から見たら、ただのゴミにしか映らないような代物であった。

しかし、その自転車でさえ、盗難防止用の重い鎖と南京錠が付けられている。
笑ってしまうが、そんな自転車でも、盗難の可能性があるのだ。

新しい自転車を売る店はそこらじゅうにあるし、
当然新しいものを持っている人々もいる。

彼等はそれを大切に家の中で保管していて、
私たちの眼に触れることはあまりない。

街で見かける一般の自転車からは、ただ「自転車泥棒」の時代が
彷彿とされるのである。



イタリア人のお宅に食事に何回か呼ばれたことがある。

家庭料理を味わえるのはこういう時だけ。
とにかく、彼等は、よく飲み、よく食べ、よく喋る。

はじめに食前酒を飲みながら、おつまみを食べ、食事の支度ができると
食堂に集まる。

まず、アンティパスト(前菜)を食す。
例えばハム類であったり、トーストにサーモンを乗せたものであったりする。
それらで軽く食欲を目覚めさせる。

次には、プリモ・ピアット(第一皿)のパスタ類である。
レストランで食べる味とはちょっとちがうマンマ(お袋)の味だ。
断然、美味しい。量も食え食え調子。
「最高の味は、やっぱりこれだ!」と
腹鼓を叩いていると、「セコンド・ピアット」がはじまる。

itala-06.jpg

これからが本番。普通の日本人だったら、ここで参ってしまう。
しかし、私たち夫婦はへこたれない。肉・肉・肉…のオンパレード!
オーブンで調理され、テーブルにどっかり置かれた牛肉のもも、
舌、側頭部、豚のソーセージ等々…、それぞれ1キログラムぐらいの塊だ。
それらは電気鋸のようなナイフでザクザクと切り刻まれる。

「イタリア人は、自分で肉の固まりを切らないと欲求不満になる」と
聞いたことがある。

目の前でビーンと、鋸の音が響き、
各自の皿には肉片が、皿の底が見えないくらい盛り付けられる。

やっとの思いでそれを平らげると、また親切に次々と足してくれる。
優しい夫人がまるで鬼のように見えてくる。
「もう十分です」と言っても、これでもか、これでもかの“お食べ”地獄!
美味しい料理も何時しかまずいものに感じてくる。

ようやくセコンド・ピアットが終わりほっとしていると、チーズ、ケーキ、果物、
まだまだ出てくる。
ただ、もどすのを我慢するだけで精一杯。

とにかく私たちが一番驚いたことは、肉の量が日本人の食べる量とは
比較にならないほど多いということ。
それから野菜をあまり食べないということだ。

こちらのレストランで出された料理が少なかったら、
その店は、日本人の食の細いことを知っている証だ。



日本人が海外旅行をすると土産にブランド品を買いあさっているようだが、
こちらの人々は高価なものじっくり吟味した上で買う。そして、それを長年使う。

確かにブランド品は質・デザイン共に優れている。
しかし、なぜ「ブランド品」なのかという事はこちらで生活してはじめてわかる。

イタリアには気軽に入れるデパート(日本のスーパーマーケット程度)がいくつかあり、
そこで先日1万円のズボンを買った。2〜3日で穴が開いた。
通りには所々に朝市が立つ。値段も手頃。セーターを買った。
2〜3日で手首のゴム編みが延び、毛玉だらけになった。

このような事を何度か繰り返してわかった。

「ブランド品が良い」と言われるのは、他のものが極端に粗悪だからだ。

そして、ブランド品は確実に品質が保証されているからである。

itala-02.jpg

イタリア人はブランド品の中から流行に関係のないデザインのものを購入し、
長年にわたって使う。
安価で良質なものがスーパーでも手に入る日本が羨ましく思える。



クリスマスをミラノで過ごした。

華やかなネオンの通り、目の覚めるようなクリスマスツリー、
そして、家族へのプレゼントを抱え歩く人々。
そんなイメージを抱き、それを期待していた。

しかし、ミラノの街の中には誰もいなかった。
夜9時、10時…私たちは何かを求めるように街をさまよい歩いた。
店は一軒も開いておらず、イタリア人の姿も1人も見えない。
地下鉄もバスもなく、近くの教会すら閉まっていた。
通りにいるのは、拍子抜けした観光客やアジア人、
そして物売りの黒人だけだった。

寂しいクリスマスだった。

itala-12.jpg

大晦日はというと、それはそれは騒がしい日だった。
朝からあちこちで爆竹の音、
「きっとネオナチかチンピラの仕業に違いない」と私たちは思っていた。
その音ときたら、自動車がどこかにぶつかったような物凄い音、
心臓がその度に止まりそうだった。

夜も更けると、大爆竹・大花火大会がミラノ中で起こった。
アパートの窓から通りに花火を投げる。前のアパートにぶつける。
あの記憶に新しい湾岸戦争のバクダッドの夜空のように、
そこら中で花火があがり、街中火薬の匂いが立ち込める。

花火で賑わうのは中国ばかりと思っていたが、
お祭好きのイタリア人がこれをしないわけがない、と納得する。


テレビでは、女の子達が胸を揺すりながら踊りまくり、
12時の時報とともに最高潮に達する。

そして、新しい年が底抜けに騒々しく、賑やかにはじまるのだ。



すでに紹介したように、私たちは1900年頃に建てられた
5階建てのアパートの住んでいた。

ミラノ中央駅から近く、交通の便もよかった。
このアパートは低所得者用の者として当時建てられたらしく、
この周辺には同じようなアパートが並んでいる。

東京で言えば下町のような風情を今に残している。

そして、人々の内にも何か暖かいものが残っているようだ。
建物にはエレベーターが付いていないので、
年寄りたちにとって階段の昇降は過酷なものだが、
彼らは毎日のゆっくりした時間の中で一歩一歩、
さほど気にすることもなく上り下りしている。

若者は重い荷物を持った婦人がいると必ず手を貸していた。
ミラノには高級新興住宅地もあり、貴族や金持ちが住んでいる。
建物は最新の設備を備え、緑豊かな環境に立地している。
そこに比べるのもおかしいが、
私たちの住んでいたVia Padova 5(ヴィア・パドバ・チンクエ)は、
貧しいアパートでも、海外からの短期滞在者には経験できない、
場を介した人々の触れあいがある。

itala-14.jpg

私達がミラノに移ったのは、イタリアの暑い夏が終わり、
冬が始まろうとしていた10月のはじめだった。
Via Padova 5に住み始めたこの頃、廊下を通る人影があった。
ゆっくりと、行ったり来たり、私たちの玄関の前で小休止し、
またゆっくりと歩いてゆく。

それは2軒隣のピエロおじさんだった。
ピエロは足をひきずりひきずり毎日リハビリをしているようだった。

おじさんも奥さんのアンナも、私たちにはあまり愛想は
良いほうではなく、時々挨拶をすると返事してくれる程度だった。

毎日のリハビリが、ある時ピタッとなくなり、おじさんの姿も見なくなった。
おばさんも時々見るくらいになり、私たちは、心のどこかで気になっていたが
聞くチャンスもなく月日はあっという間に流れた。

2回目の夏の初めのある日、ピエロは車椅子に乗って廊下を
行ったり来たりしていた。
アンナはピエロの車椅子をゆっくりと押していた。
久しぶりにあった2人に挨拶する。
歩くことはできなくなっている様子だが、元気でいるので安心した。
毎日夕方になるとピエロは玄関の前で夕暮れの空を眺めていた。
買い物から帰ってきた私たちを見てもピエロは何も反応しない。
変なことはそれからもあった。挨拶しても視線がおかしい。
隣のマリアおばさんに挨拶したのに、ピエロが返事すると言った具合だ。

2回目の冬も近くなり、ピエロの家から家具が運ばれる日の少し前、
アンナはポツリと私たちに言った。
「彼はもう両足を切ってしまって、眼も見えないのよ」と。
おばさんの寂しそうな後ろ姿は今でも忘れられない。

そして、Via Padova 5の5階から2人の姿が見えなくなって、
また寒い冬が訪れた。



イタリアにいる間に、いろいろな家に呼ばれたが、
どの家もピカピカに磨かれていた。
大変掃除上手なのがイタリア人である。

それまで「日本人は国際的に見て最もきれい好きな国民だ」と思っていたが、
その考えは100%覆されてしまった。

驚くほど整理され、それも半端でない。徹底している。
玄関から始まって、室内の掃除はもちろん、
棚の上やテーブルの上もきれいさっぱりしている。
余計なものは一切置いていない。壁の絵もその人の趣味で統一されている。
調理後の台所は、すでに何もなくピカピカになっている。
テーブルクロスの上にはグラスや皿、ナイフ、フォークがきちんと揃い、
夕食の準備が整っている。  

itala-07.jpg

食事は楽しく長い時間を費やすが、片付けはその間にやってしまう。
食器洗い機が置いてある家も多く、その中に突っ込んでしまえば
終わりなのだが、機械のない家でも食事が終わると
直ぐに片付けてしまうのだ。

洗い、拭き、棚にしまい、一番汚れるレンジもその都度掃除するので、
油がこびりついて真っ黒になっていることは決してない。
これがどの家もそうなのだから驚く。

男だけのアパートの台所もそうなのだから不思議なくらいだ。
忙しいからといって散らかっている家は見たことがない。
調理料類も何もかも棚に整理され眼に見えるところには置かない。
調理台の上は何もなくショールームに展示されたキッチンと同じなのだ。


ヨーロッパの街並みについて、その美しい理由を
「道路に面する部分やベランダを綺麗にすることが
法律で定められているからだ」と
単純にいう人にお目にかかることがある。

実はこの発言、その人が家の中の様子をまったく見ていないことを
露呈しているのである。

彼らは美しく整えた自分の部屋の延長として窓際をとらえているのだから、
美しくて当然なのである。

日本に洋式の生活が導入されてまだ歴史が浅く、家具をはじめとした
生活のしつらえ、その扱い方に関しては、
残念ながら我が国はまだ発展途上国といわざる得ない。



それにしても、イタリア人の家のインテリアの統一感は
何処から来るのだろうか。

その手がかりとして、次のことがあげられる。
彼らは、とても「好き、嫌い」がはっきりしているのだ。

「好きでもあり、嫌いでもある」とか「判断できない」と言う答えは
聞いたことがない。

この考えは当然自分の家にも持ち込まれる。嫌いなものは部屋の中に
決して持ち込まない。

itala-10.jpg

そして、完全にその人の嗜好に合った部屋がつくられるのである。
イタリアの主婦のほうが、日本のほとんどの設計士よりもインテリアのセンスが
良いのではないかと思われる。