2007/1/03
(12)終章・午後7時15分にポルタ・ジェノヴァ駅で
2年間のイタリア滞在を終え、
ミラノ・マルペンサ空港から飛び立った私たちは、
1時間半交互に、そして一緒に泣き続けていた。
日本を離れるときも、ビルマを離れるときにも、
私たちの眼に涙はなかった。
2年間に経験した様々なこと、出会った人々のことが
走馬灯のように脳裏を去来した。
「 Alle sette e quarto. Alla stazione Porta Genova.」
(午後7時15分にポルタ・ジェノヴァ駅で)
これがラッファエレ、イーザ夫妻と私達の合言葉だった。
2人は私たちのアパートの大家で、ミラノ郊外のコルシコという町に住んでいた。
ラッファエレは57歳、ショーン・コネリー風の好男子。
イーザは53歳、町であってもハッとするほどファッションセンスの良い
グラマーな女性。
私たちは週末の夜を彼らの家で過ごすことが、習慣になっていた。
ポルタ・ジェノヴァ駅で待ち合わせ、ラッファエレの車で彼らの家に向かう。
はじめは、なぜ彼らが私たちにここまで関わろうとしてくるのか
分からなかった。
彼らの間には子供はなく、私たちは、
その心に空いた隙間を埋める存在になっていたのだろう。
そのホスピタリティーは、毎回食事のメニューを替えてくれていたこと、
その作り方を全てメモして私達に残しておいてくれたことからもわかる。
空港に送ってくれたラッファエレとイーザは抱擁の後で
「午後7時15分にポルタ・ジェノヴァ駅に行っても、誰もいないね」と
眼に涙を一杯にためて小さな声で言った。
こうして、私たちのイタリア紀行は、ひとつの終わりを迎えた。